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​メガネと人生と

私たち「アイウェア メビウス」のオープンは1992年。
おかげさまで、今年で30周年を迎えました。
走り続けていたら、いつの間にか長い時間が過ぎていたというのが実感。
山あり谷あり、あっという間の30年間でした。
メビウスが最初にお店を開いたのは宮益坂沿い。
その後数年で、いまの公園通りの一角へと移ってきました。
お店から見える渋谷の街は、この30年の間、たえず変わり続けています。
窓のむこうにトレンドが見える場所にいるお店をかまえていることは、
アイウェアショップとして「何を変えるべきか/変えずにいるべきか」を
自分たちに問い続けることを、助けてくれているようにも思います。

わたしはMEBIUSにしてみたら
いちばん困る客かもしれない

●●様(30代)

 私は和食の料理人で、陶芸家。常に日本の郷土料理や器について学んでいます。あらゆる事象を取り入れてひとつの器に収斂させていく日本らしい美学に惹かれます。私を惹きつける器に共通するのは、デザインだけで成り立っているわけではないという点。器が盛りつけられた料理の美を高め、料理もまた器の美を高める。そういう風にして成り立つ器は真に美しいと感じます。
 さて、テレビの撮影で長崎に行ったとき、「眼鏡橋(Eyeglass bridge !)」を見ました。中央に垂直方向の支柱があり、その両脇に半円がついた、メガネを水平に半分に切ったような形の橋。水面にその姿が映り込むとメガネの形に見えるのですが、そう気づくには、それを“見つける目”も必要です。私が自分のメガネに求めるのも、まさにそれ。ただ鼻の上にのっかっているものではなくて、私自身の一部であり、延長であってほしいとのです。他人から見たとき、メガネと私が一体化していてほしい。それだけが主張するメガネではなく、美しい調和を生み出すメガネであってほしい、と。
 さらにメガネには、ネクタイを締めたり、シェフである僕がエプロンを、また女性が帯を締めるのと同じような役割があるとも感じます。その時々にしてみたいファッションや、自分の気分を演出する最後の仕上げ、ということです。新しいメガネを選ぶのはいつもとても難しくて、自分はメガネの役割について考えすぎなのではないかと感じることがあります。選ぶときはまずメガネをかけて、いろんな角度から写真を撮る。そして翌日まで待ち、頭を空っぽにしてから何度かその写真を見るのです。
 メビウスというメガネ店の客としては、おそらく最悪に面倒くさい部類ではないでしょうか。並んでいるフレームを、ただ見るだけでは決心がつかないのですから! 私にとっては、店頭に並ぶメガネは、それだけではまだ未完成品。真の美が生まれてくるのは、メガネを実際にかけるようになってからだと思うのです。

メガネ屋冥利につきます

 

 Dさんとメビウスは、もう10年近いお付き合い。とある企業のお抱えの料理人をされているDさんは、日本と日本文化を深く愛していらっしゃる。お休みの期間中は、東京に一軒家を借りて日本で過ごされるんです。
 Dさんといえば、MYKITA(マイキータ)の丸いフレームのメガネという印象。メビウスで最初に買われたその1
本を、かけ心地の調整をしたり、レンズ交換したりしながら、とても大切に使っていただいています。MYKITAのメガネはネジを使っていないから、持ちもとてもいいんです。途中でほかのフレームも何本かご購入いただいているのだけれど、昨年、1本めのメガネのレンズを、約10年越しにレンズ交換されていただいている。ここまで愛用していただいて、自分のアイコンとしていただけるとメガネ屋冥利につきます。
 Dさんが東京のおうちで開かれる料理会にも、幾度も出席させていただいたことがあります。カツオの藁焼きなど、目をみはるような凝った料理を出されるんですよ! こだわりの深い、そういう方の「お眼鏡に叶う」(文字通りに!)メガネをご提供できているならば、そんな誇らしいことはありません。

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